さぁ、いよいよジェットコースターに乗りますよ。(なんのこっちゃ)
病院に着いたのが金曜日の夕方でした。
実際に子供が生まれたのは土曜日の午後3時過ぎ。
この約24時間の間に起こった出来事は、どれだけ頭がボケても忘れないでしょう。
ちなみに、出産にかかわる英語で「labor」という単語が良く出てきます。
「labor」の意味は辞書によるとすごく頑張って働いている時に使われる、「労働する」や「働く」、「努力する」という意味です。
産科では
laboring 出産している
labor pains 陣痛
と、日本の辞書には出てきます。
実際、具体的にどんな用法で使われていたかは覚えていませんが、やたらとレイバーという単語が出てきたので、あ~出産って大変だからレイバーとか言われなきゃいけないんだなぁ・・・と思ったのを覚えています。
さて、産科の重い扉(常時施錠:赤ちゃんの盗難防止)が開き、中に入った私たち夫婦はナースセンターで名前を言うと、すぐ近くの病室(LDR)に通され、「全部ぬいでこれに着替えてね」と背中が丸開きのガウンを渡されました。
え!!?? いや、私たち先生にちょこっと子宮口チェックしてもらうだけなんですけど??
と、思ったものの、それを英語で伝える力もなく、言われるまま素直に従うしかありません。
トイレで着替えを済ますと、ペット用のおしっこシートの強大なものが敷いてあるベッドへ寝るように指示されました。
それから入院に関わる様々な質問が30分以上も続きますが、陣痛の波が来る私は何を言っているのかさっぱりチンプンカンプン。
旦那も必死に聞こうとしますが、もともと英語が喋れるからではなく、行って喋れるようになって来い的な豪快上司に送り込まれたので、たぶんこんな感じ~的な通訳をします。
しかしながら幸いなことに、移民の国アメリカには英語が喋れなくても何とかなるようなシステムがありました。
ナースが受話器が2本ついている電話機をもってきて、どこかに電話をすると日本語をオーダーして、もう1つの受話器を私に渡してきました。三者通話というわけです。
そんわけで、無事に入院に関わる手続きが着々と進み、NSTと私の子宮口をチェックしたナースが一言、
「確かに陣痛が来てるけど、まだ生まれるのは1週間くらい先かしらね~、先生が帰っていいって言ってたわよ」
入院手続きが終わり、すっかり覚悟を決めていた私たち夫婦が途方にくれたのは言うまでもありません。
その間も10分おきに陣痛は来ています。
あまりにもショックを受けた顔をしていたせいでしょうか、優しいナースはこうも言いました。
「心配ならまた来てもいいから~、安心して帰りなさい」
そうですか・・・、お邪魔しました。
こうして、急転直下突然の陣痛にパニック状態で出産に向け覚悟を決めた私たちは、これまた突然、生まずに帰るという驚きの結果と共に、病院を後にしました。
すでに時刻は夜8時。
帰ってご飯の準備なんてできないし、そもそもおなかがすいてケトンがやばい!! ついでに、慌てて出たのでインスリンも持ってない。もうやけくそで、そのままどっかのレストランによって帰りました。
もちろん、料理を選ぶ間も、料理を待つ間も、食べてる間も、10分おきにアイタタタ、痛みの強さは増すばかり。
すぐにも病院に戻りたい気分です。
いったい、この後どうなるんでしょうね?
書きながら思い出すんですが、いくらなんでもこれはちょっとクレイジーな状態だったと思います。
結局、医師が私の病室に顔を出すこともなかったし(ナースがチェックして医師に報告、医師は報告だけ聞いてナースに指示を出し、自分ではチェックしなかった)、そもそもあの長い長い入院前の質問(病歴など)はすでに一度、レターで病院へ提出済みだったのです。
アメリカの事務処理能力が低いと知らなかったので、提出したレターのコピーも持っていませんでした。持ってりゃ、それを見せて終わりだったでしょうにね。
何事も経験です。 経験から得る知識のみが、わが身を助けるのです。